野村克也は数え切れないほどの名言を残している。
そして、その多くはシニカルなものである。
理由は生い立ちにある。
野村の家は貧しく、バットも買えないため、海水を一升瓶に入れて持ち帰り、素振りをしていたという。
そんな野村が一貫して大切にしてきたのは「考える」ということだった。
考えることは、才能のない人間の最大の武器である
野村はテスト生として南海ホークスに入団してからも肩が弱かったため、苦労の連続だった。
そんな中で、野村が常に意識していたのは「考える」ということ。
野村の有名な「ID野球」もまさに「考える」ことの集大成である。
そんな彼が残した名言の中で、僕が好きなのが、
「考えることは、才能のない人間の最大の武器である」という言葉だ。
僕はこの言葉を聞いたときハッとした。
普通、才能のない人間に対して、用いられるのは、努力という言葉である。
古今東西の名言にも努力に関するものは数え切れないほどある。
しかし、これはあたりまえすぎて心には残らない。
野村はそれを「考える」ことと言い切った。
そして、「才能のない人の最大の武器」だと。
この名言を語るうえで、紹介したいのが、ミスターこと長嶋茂雄との比較である。
野村は現役時代、打者の集中力をそぐために、「ささやき戦術」をよく使った。
当初は「次は頭にいくでぇ」「今度こそ頭だぞ」「当たったら痛いだろうナァ」という脅しに近いささやきだったが、そのうちささやきは選手の私生活に及んだ。
野村は情報を収集するため、銀座のクラブに出向き、選手の情報を仕入れていたという。
そして、打席に立った打者にささやいて動揺させる。
この戦術はかなり効果があったようだ。
しかし、そんなささやき戦術が一切通用しない選手がいた。
それが長嶋茂雄である。
野村を脱帽させた長嶋のエピソード
長嶋は、野村のつぶやきに「よく知ってるねぇ。どこで聞いたの?」と意に介さずに会話を続けたという。
なかでも、野村を脱帽させたエピソードがある。
あるとき、打席に立った長嶋を動揺させるため、野村はこうささやいた。
「フォームが少しおかしいんじゃないの?」
すると、長嶋は、「本当?ちょっと待って」
タイムをかけ、1、2回素振りをした後に再び打席に立った。
そして、次の球をホームランにしてしまったのだ。
ホームインした長嶋は野村にこう言った。
「教えてくれてありがとう」
これには野村は唖然としたという。
余計なことは考えない。
素直に自分の感覚に従う。
まさに天才打者の真骨頂である、
野村が長嶋と自分を比較した有名な言葉がある。
「王や長嶋はヒマワリ、私は月見草」
これはどんなにスゴイ成績を残しても王や長嶋のように脚光を浴びない。
そんな日陰の存在である自分を皮肉った言葉だ。
しかし、野村はこうも言っている。
「私が現役時代にそこまで成績を伸ばせたのは、王や長嶋の存在があったからである」
「あのライバルには絶対に負けたくない」
そう思わせてくれる人が身近にいたことは幸運だったという。
ライバルのいる環境に感謝し、その上でライバルに勝つための策を練る。
野村は現役時代、どんな調子が悪くても、常にメモを取っていた。
そこに書かれた自分の過去のデータをもとに、「なぜ今、調子が悪いのか?」の答えを自分なりに導き出したという。
考えて考えて考え抜いて道を切り開く。
それが「考えることは、才能のない人間の最大の武器である」という名言に繋がっているのだ。
実際、生涯成績を見てみると、野村は長嶋を上回っている。
野村は戦後初の三冠王を獲っているが、長嶋は三冠王を獲ったことがない。
さらに、部門別の成績をみても、
本塁打 野村657本 長嶋444本
打率 野村 .277 長嶋 .305
打点 野村 1988打点 長嶋1522打点
打率こそ長嶋が上回っているものの、本塁打と打点は野村が大きく上回っているのだ。
まとめ
人生で成功を収めるためには、才能が必要だと言われる。
しかし、本当にそうなのだろうか?
実は才能より「考える」ことの方が大事なのではないか。
また、成功するには努力が必要だが、正しい努力をする必要がある。
羽生結弦はこう言っている。
「努力は嘘をつく。でも無駄にはならない。
努力の正解を見つけることが大切」
ダルビッシュ有はこう言っている。
「なんの計画性もなく努力したところでむくわれません。
ただその失敗に気付いて計画性を持ったときに、経験した無意味な努力を無駄にするかしないかで人生大きく分かれると思います」
同じ努力をするにしても「考える」ことが大事だというのだ。
「考えることは、才能のない人間の最大の武器である」
才能がないと悩んでいる人は、徹底的に考え抜いてみてはどうだろうか?
そうすればきっと道は開けるはずだ。