明石家さんまといえば、お笑い界のレジェンド。
その軽妙な司会ぶりは還暦をとっくに過ぎても衰えを見せない。

そんな彼の座右の銘として有名なのが、
「生きてるだけで丸儲け」

娘のIMARUはこの言葉を取って命名されたというエピソードはよく知られている。

しかし、この「生きてるだけで丸儲け」
「嫌い」という人が多いようで、
ネットで検索すると、関連ワードの上位に表示される。

嫌いな理由の多くは「ふざけている」というもの。

「生きるのは大変なのに脳天気すぎる」
しかも、自分の娘の名前にするなんて……

「生きることの大切さ」を説いた言葉だとして、
好意的に受け止める人もいるが、全体で見れば少数である。

しかし、さんまの人生を辿ってみると、
決して「ふざけた」言葉ではないことがわかる。

なぜ、「生きてるだけで丸儲け」なのか?
この言葉に秘められたさんまの思いを書き綴ってみたい。

明石家さんまを相次いで襲った身内の死

さんまの人生を語るうえで、重要なキーワードがある。

それは「死」である。

さんまは3歳の時に母を亡くしていた

さんまは3歳の頃に母親を亡くしている。
死因は定かではありませんが、母親の記憶はほとんどないという。

父親はさんまが小学校高学年の時に再婚。
義理の母との生活が始まった。

しかし、義理の母には連れ子がいて、さんまを嫌っていた。

「うちの子はこの子(弟)だけや」
と言って、弟だけを溺愛していたという。

さんまは義理の母親に好かれるため、
いろんなことをして笑わそうとしたという。

これがお笑い芸人の原点だったのかもしない。

義母から嫌われたさんまだったが、
義理の弟のことはとても可愛がったという。

さんまは大のサッカーファンとして知られているが、じつは弟もサッカーをやっていて、自分よりもうまかったという。

そんな弟に悲劇が襲う。

火事で亡くなったさんまの弟

それはさんまが27才のときだった。
芸能人として人気が出始めた頃、
19才だった弟に悲劇が起こる。

実家が火事になり、弟が亡くなってしまったのだ。

大好きだった弟の死に大きなショックを受けたさんまは、芸能界の引退を考えるほど落ち込み、一時は笑いを取ることができなくなったという。

そんなさんまを救ってくれたのが、漫才師のオール巨人だった。

ある日の舞台で、「おまえんち兄弟が焼いたらしいな」と爆弾発言。

今、こんな発言しようものなら、巨人が大炎上しそうだが、さんまはこう返した。

「そや、材木切れたから、代わりに焼いたんや!」

これでふっきれたさんまは、芸人を続けていくと決意。
舞台後、巨人に感謝の言葉を述べたという。

実の母親の死、そして、最愛の弟の死。

しかし、その後もさんまには死の影がつきまとう。

九死に一生を得た日航機墜落事故

1985年8月12日、御巣鷹山に墜落した日本航空123便。
日本の航空機事故の中で最悪と言われ、今も語り継がれている。

実は、さんまはこの123便に乗る予定だった。
しかし、当日「俺たちひょうきん族」の収録が早く終わったため、一便早い全日空機に乗り、大阪に戻ったのだ。

一歩間違えば、死んでいたかもしれない。
九死に一生を得たさんまは、それ以来、東京ー大阪間は新幹線で移動するようになったという。

さんまの死にまつわるエピソードはまだある。

大竹しのぶの前夫の死

日航機事故の翌年、さんまは運命的な出会いをする。
大竹しのぶと『男女7人夏物語』(TBS系)で共演することになったのだ。

じつはさんまは、まだ売れなかった頃、大竹しのぶのファンだったが、共演時、彼女はTBSのディレクターだった服部晴治と結婚していた。

さんまは大竹との共演を機に、家族ぐるみの付き合いをするようになり、夫の服部とも一緒に食事をしたり、テニスを楽しんだりする仲になった。

しかし、その裏では暗雲が立ち込めていた。
夫の服部は胃がんに冒され、「余命1年」と告げられていたのだ。

自らの死期が近いことを悟っていた服部は、さんまに対して密かにこう言い残していたという。
「僕がいなくなってから、しのぶのことを面倒見てやってくれ」

そして、服部は47歳の若さでこの世を去るのだ。

芸人生命を賭けた結婚の決断

当時さんまにとって、結婚は大きな決断だった。
女好きの軽薄な男として人気を博していた彼にとって、大竹しのぶと結婚することは人生の一大事。

もし結婚したら、これまで築き上げてきた笑いの路線は貫けなくなる。

しかし、それでもさんまは大竹しのぶさんとの結婚を決断。
結果は心配通りだった。

さんまの人気は急速に下降。
それと同時に夫婦関係も険悪になっていく。

そして、2人の結婚生活は5年でピリオドを打つことになるのである。

しのぶと服部氏の間には、二千翔という男の子がいたが、大変な愛情を注いだという。
これは実の母と義弟の死を体験したことも大きかったのではと思われる。

離婚時、二千翔はさんまの方に付いていくと言ったほど、2人の仲は良かったそうだ。

ちなみに、さんまファミリーは、IMARU(一)、二千翔(二)、さんま(三)、しのぶ(四)。
いかにもさんまらしい。

離婚を機に再び始まったさんまの快進撃!

さんまは離婚を機に再び輝きを取り戻す。

1992年には「さんまのからくりTV」
1994年には「恋のから騒ぎ」
1997年には「踊る!さんま御殿!!」

次々と番組をヒットさせ、芸能界で唯一無二の存在となったのである。

さんまの名言「生きてるだけで丸儲け」から学べること

今や芸能界で不動の地位を築いたさんま。

彼が「生きてるだけで丸儲け」を座右の銘とした裏には、常に「死」の影がつきまとっていたことがわかる。

僕はさんまのことは決して嫌いじゃないが、彼の笑いには言葉にできない違和感がずっとあった。
なかでも、司会のときに見せるオーバーアクションと引きつり笑い。

必死に盛り上げようとする様が痛々しく感じられることもあった。

しかし、今回さんまのことを調べてみて、その理由がわかったような気がする。

それは彼が背負ってきた死の影ではないか。

そう考えれば、「生きてるだけで丸儲け」という名言の意味もわかる。

この言葉は、多くの人が嫌う理由としてあげる「軽薄さ」では決してない。
むしろ、その対極にある言葉ではないのだろうか。

死ぬ時にパンツ一つはいてたら勝ち

さんまの名言にはこんなのもある。

「人間生まれてきたときは裸。死ぬ時にパンツ一つはいてたら勝ちやないか」

パンツ一つでも勝ちという目線の低さ。
これは禅に通じるという見方をする僧侶もいる。

禅宗には「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」という言葉がある。

「事物はすべて本来空(くう)であるから、執着すべきものは何一つない」という意味だそうだ。

人間は本来何一つ持って生まれたわけではなく、何一つ持って死ぬわけじゃない。
このことさえしっかり胸に刻んでおければ、素晴らしい生き方ができる。

これが禅の生き方だというのである。

さんまの「生きてるだけで丸儲け」には、そんな深い意味があるのではないだろうか。
もっとも、さんまに聞いても「そんなこと知らんわ!考えすぎちゃうか!」と笑い飛ばされそうだが……

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