人の評価は変わる。

嫌われ者がいつしか憧れの存在になる。
芸能界では、決して珍しいことではない。

たとえば、田中みな実。

ぶりっ子と言われ、いじられまくられ、女性にも嫌われていた。

しかし、その評価は一変した。
今や田中みな実は女性にとって憧れの存在である。

なぜ彼女の評価は一変したのか?

一言で言えば、彼女はブレなかったからだと僕は思う。
何を言われても、自分のスタイルを貫く。

芸能界で成功するためには絶対に必要な生き方である。

芸能界にはずっと昔からそれを体現し、人気者になった人物がいる。

出川哲朗である。

リアクション芸人として芸能界の片隅で図太く生き抜いてきた出川。
気がつけば、テレビのど真ん中にいる。

現在の彼の成功を一体誰が想像しただろうか?

しかし、彼は「絶対成功するんだとしか思ってなかった」と言う。

そこで、出川のこれまで生き様と発言を振り返りながら、人気者に成り上がった秘密に迫ってみたいと思う。

「絶対成功するんだとしか思ってなかった」

出川哲朗は1964年、横浜の老舗海苔問屋の息子として生まれた。
1985年、横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)を卒業。

同級生に内村光良と南原清隆がいたというのは有名な話である。

矢沢永吉の大ファンだった出川の人生のバイブルは矢沢永吉自叙伝『成り上がり』
何度も何度も読み返したという。

実は、出川は当初は役者志望だった。

映画『男はつらいよ』シリーズに脇役として5作品連続で出演。
他にも多数の映画にエキストラとして参加しており、ウッチャンナンチャンから「エキストラの帝王」と呼ばれていたこともあった。

テレビタレントとして本格的に活動を始めたのは、1990年4月、ウッチャン・ナンチャンの番組だった。

そんな出川が脚光を浴びるようになったのは、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』。

体を張ったロケで面白がられ、「イジられキャラ」としての地位を確立。
自身もお笑いに目覚めたという。

実は、出川はリアクションは大嫌いだったという。

「もともとリアクションなんて大嫌いだから、ジェットコースターとか大嫌いで、乗らされて面白がられてリアクション芸人になったんで」

「自分は、嫌われてナンボのタレントだから、いい話をされるのは、営業妨害だ」

テレビ界では、「汚れ」キャラとして重宝された出川。

過酷なロケや罰ゲームなどを体当たりでこなしたきた彼は2006年頃から椎間板ヘルニアを患い、杖を使わなければならないほど悪化。2008年3月末に緊急入院した。

しかし、当の本人はテレビ収録が始まると痛さを忘れてしまうと語っている。

ちょうどこの頃、出川の代名詞となったのが、「ヤバいよヤバいよ」というセリフである。

まさに満身創痍のリアクション芸。
そんな出川の芸が知れ渡るようになるにつれ、女性からは嫌われるようになっていく。

『an・an』の読者アンケート「嫌いな男ランキング」では5年連続1位を達成
「殿堂入り」し、アンケートの対象から除外されている。

しかし、彼は一向に意に介さない。

「自分は、嫌われてナンボのタレントだから、いい話をされるのは、営業妨害だ」

「一生懸命頑張っていれば、時間がかかるかもしれないけど、きっと誰かが見ていてくれるから」

嫌われ男として、テレビに出続けた出川。
しかし、風向きが少しずつ変わっていく。

「汚れ役」「いじられキャラ」として徹底した仕事ぶりが評価され始めたのである。

「一生懸命頑張れば、誰かが見ててくれる」というのは、出川の座右の銘だというが、まさにその通りになっていったのだ。

そして、出川本来の人柄が広く認知されるようになり、人気・好感度が急上昇。
多数のレギュラー番組やCMオファーも舞い込み、人気タレントとなった。

「馬鹿にされているんじゃない。人一倍親しみやすい芸能人なんだ」

出川は今の自分についてこう語っている。

「30何年やってますけど、僕自身やってることは何も変わらないのに、それが今、皆さんがこれだけ応援してくれているのは、嬉しいし、ありがたいですけど、本当に不思議な感じですね」

「体を張ってみんなを楽しませたい気持ちは一回もブレてない」

出川は人気者になっても決して奢ることはない。

今でも喜んでいじられるし、リアクション芸も披露する。

まさに、本人が言うように、「体を張ってみんなを楽しませたい気持ちは一回もブレてない」のである。

彼はこんな言葉も残している。

「今まで、数えきれない猛獣と戦ってきた俺だが相手に背を向けた事は、1度も無い俺の行き様を見てくれ!俺は、そうしてきた」

あまりにカッコ良すぎて逆に笑ってしまいそうだが、すべて本当のことなのだろう。

「ギャラじゃないのよ。お客さんの笑顔が大事なのよ」

客の笑顔が一番大切だという出川。

今の心境をこう述べている。

「気持ち悪い話だけど『かわいい』なんて言ってくれるなんて20年前なら考えられないですね。これが永遠に続いてほしいですね」

今後についてはこう語っている。

「芸風は変えるつもりはないですね。裸になることが全てではないけど裸にもなりますね。
この先も10年、20年、同じようなことをしていくと思うし、やれていれば幸せだと思う」

「10年、20年続けたときに『まだ、コイツやってるよ』って、その人達がちょっとでも『バカなりに一生懸命やってんだね』って思ってもらえればいいです」

ブレなければ人の評価は必ずいつか変わる。

カッコ悪さを武器に戦ってきた出川哲朗はいつのまにかカッコ良くなってしまった。

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