人は誰しも強さに憧れる。
我々が抱く強い男のイメージの多くは、格闘技の世界にある。
鍛えられた鋼のような肉体を持つプロレスラー。
強烈なパンチで相手をリングに沈めるボクサー。
彼らはファイター特有の獲物を狙う鋭い眼光を持つ。
しかし、この男は違った。
藤井聡太。
史上最年少19歳6カ月で五冠を達成した天才棋士。
外見だけ見れば、彼ほど強いという言葉が似合わない男はいないだろう。
おどおどとした目。うつむく姿。謙虚すぎる言葉。
その佇まいからは微塵も強さを感じ取ることはできない。
だが、彼が操る駒は無類の強さを持つ。
底知れない破壊力で敵を倒す。
藤井聡太はなぜこれほど強いのか?
その秘密を探るため、彼のこれまでの発言を探ってみた。
そして、見つけた僕なりの答えが以下の名言だった。
目次
勝つためにはいかに最善に近づくことしかない
あなたはこの言葉聞いてどう思うだろうか?
どこが名言なの?
そう思う人もいるのではないだろうか?
藤井聡太の言葉はいつも至って平凡で、面白味に欠ける。
彼には、「努力は嘘をつく」と言った羽生結弦のようなドキッとさせる言葉はない。
あまりにも普通すぎて新聞の見出しにもならない。
そんな中で、僕が心に残ったのが、「勝つためにはいかに最善に近づくことしかない」という言葉だったのだ。
最善に近づく。
よくよく考えてみると、不思議な言葉ではないか。
普通なら「最善を尽くす」と言いそうなものである。
しかし、藤井は「最善に近づく」と言う。
「最善を尽くす」というのは、自分の持てる力を最大限発揮することだ。
つまり、この時の「最善」はその人の内なるものである。
だが、「最善に近づく」というのは違う。
この時の「最善」は自分の中にはない。
「最善」という高みがある。
それはいわば「神の領域」のようにも思える。
神と言えば、藤井はこんな言葉も残している。
せっかく神様がいるのなら1局、お手合わせをお願いしたい
将棋の神と戦ってみたい。
僕はこの言葉に強い衝撃を受けた。
藤井にとっての「最善」とは、神のことなのではないか。
そう、彼の言う「最善に近づく」とは、神を目指すという究極の上昇志向のことではないかと思ったのだ。
藤井の強さの秘密はここにあるような気がするのである。
どうして5分で分かることを45分もかけて教えるんだろう。授業がつまらない
10代にして前人未踏の五冠を達成した藤井聡太。
彼は名古屋教育大学教育学部附属高等学校を自主退学した。
卒業までわずか1カ月あまりだった。
せっかくなら卒業すればいいのに。
普通の人はそう思うだろうが、彼は違った。
出席日数が足りなくて留年しそうだからという憶測も流れたが、藤井は学校の授業についてこう言ったことがある。
「どうして5分で分かることを45分もかけて教えるんだろう。授業がつまらない」
彼は高校卒業などどうでもいいと考えているフシがあるのだ。
余談だが、中原名人にはこんな逸話がある。
「兄たちは頭が悪いから東大に行きました」
頭脳明晰の棋士にとって、学校の勉強など取るに足らないものなのかもしれない。
では、ここで藤井の経歴に触れておこう。
藤井が将棋を覚えたのは、2007年の夏、5歳のときだった。
祖父母から手ほどきを受けた彼は瞬く間に将棋のルールを覚え、秋になると、祖父は藤井に歯が立たなくなったという。
ずっと好きで自然にやってきた感じです
藤井は幼い頃について次のように語っている。
「将棋は祖母や祖父にすぐに勝てるようになったので、どんどんのめり込んでいったんだと思います」
寡黙な印象の藤井だが、実は大変な負けず嫌いでもあった。
「もともとトランプなどでも勝つまでやるタイプだったので、勝つことがうれしくて。
将棋に対する思いはずっと変わらないです。ずっと好きで自然にやってきた感じです。
将棋を指したくないとか、駒に触れたくないとか思ったことは一度もないです」
中学生でプロ棋士になり、歴代の記録を次々と塗り替えてきた藤井。
しかし、彼の口から発せられる言葉はいつもそっけない。
自分はただ将棋を指してきただけなので、大きく採り上げていただけることはうれしい反面、照れくさいというか気恥ずかしい気持ちもあります
ただ将棋を指してきただけという藤井。そのコメントはいつも謙虚である。
「(連勝に対して)当然、自分の実力以上の結果が出ているというのが実感です」
「将棋をさす限り勝敗はついてまわるので、一喜一憂してもしょうがない」
「20連勝できたのは実力からすると僥倖(ぎょうこう)としかいいようがない。連勝を意識せず一局一局指していきたい」
対局後の勝利インタビューで藤井は「まだまだ実力不足」という言葉をよく口にする。
一見謙虚に見える言葉だが、僕は毎回少し嫌な気分になる。
なぜなら負けた相手に失礼な気がしてしまうからである。
「自らを実力不足だと言う相手に負けた」
ならば、自分の実力はそれ以下ということか!
そう思って、傷ついてもおかしくはない。
もちろん、藤井に悪気が一切ないことはわかっている。
しかし、その言葉は人を傷つけることもあるのだ。
おそらく藤井が見ている相手は対戦者ではないのだろう。
もっと上……そう、彼が対局を願う神なのかもしれない。
将棋に巡り合えたのは運命だった
藤井は将棋に対して、常にストイックである。
「将棋に巡り合えたのは運命だったのかなとは思いますし、強くなることが使命…、使命までいくかわからないですけど、自分のすべきことだと思います」
「将棋はどこまで強くなっても終わりがない」
まさに将棋の申し子とも言える発言の数々。
彼はいつか神と戦うために今日も対局に臨んでいる。